そうです☆わたしがへんなおばさんです♡日記

自己表現って難しい。自分の正解が人と同じとは限らない。本音は心の声で留めて人間関係を優先。でもそろそろどこかに吐き出したい。そのための日記です♡

日本の夏

酷暑が続きます・・

お盆が過ぎたというのに連日35度超えとはどういう了見だ?と

お天とさんに文句の一つも言いたくなる。

世間ではよく、昔の夏と今の夏は違う、と言うが

徐々に暑さが増してるのでその境界は分からない。

それにしてもいつ頃から夏が異常な暑さになったか、

ここにひとつの個人的データがある。

 

時は27~8年前に遡る・・

その頃わたしは旅行会社に勤めていて、ある常夏の国の担当をしていた。

 

ある夏の日、その常夏の国の観光大臣と副大統領が来日

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日本からもっと観光客をよこしてちょーだい♡とセールスにやって来た。

大阪のロイヤルホテルで会食することになったのだけど

政府観光局と航空会社の人含む数名のお偉いさん、その常夏の国の主催旅行をやっていた我社から東京と大阪の担当者が招かれた。

会食での会話は英語。大阪の担当というだけで連れてこられたわたしは

とりあえず作り笑顔をたやさず、分かってるふりをして話を聞いていた。

そんな中でわたしにも聞き取れた、副大統領の放った印象深い御言葉がある。

 

日本がこんなに暑いとは思わなかった。日本の夏は我が国の夏より暑い・・

 

私を含め、そこにいた日本人が全員「そうでしょう、そうでしょう」という顔で頷いた。

その年がとくに暑かったわけではない。

つまり少なくとも30年前には、日本は自他共に認める、

常夏の国の人も愚痴をこぼすくらい夏がえぐい国になってたってことです。

 

・・・言いたいのはそれだけです。

 

日本っていつからこんな暑くなったっけ?って考えてたら

ふと思い出しました。

 

 

今は更に暑いのだから、シャレになりませんよねこれは

 

 

 

 

タイトルの意味

ブログのタイトルの通り

わたしは変なおばさんというか、感覚はおっさんなのかもしれない。

よく言えばナチュラル志向、悪く言えば洒落っ気がない。

高校の友達に「あんた変わってんなー」って言われたことある。

 

先天性か後天性か相互作用か(笑)

自分でも測りかねるが、変わりもんには違いない。

後天的要素と言えばやっぱり家庭環境

両親と祖父母が仲悪く、喧嘩が少なくなかった。

母と祖母が仲悪いうえ、祖父母どうしも仲悪く父は祖父のことが大っ嫌い。

ほのぼの家族とは程遠いわが家。田舎では珍しくないんだけどね。

お母さんがお婆さんにいじめられるので「くそババア」とか「はよ死んだらええのに」

とか毒づく友達もいた。半分冗談、半分本気。

 

大人の喧嘩を見る子供のストレスってかなりなもんで

喧嘩と言っても主に口論で、大人たち曰く喧嘩じゃなく話し合いらしい。

そうなると子供そっちのけなんで

わたしたちはあまり干渉されず、むしろのびのび育った方かもしれない。

 

わたしが中学の時、一度大きい喧嘩があって(大人たち曰く話し合い)

もう夜なのにうるさくて眠れない。

仕方なくわたしと妹は 毛布、クッション、懐中電灯、ラジカセ を

一輪車に乗せて闇夜に外に出た。傍から見たら夜逃げだよ(;^_^A

向かった先は建築中のわが新居。

その時はもう分家が決まってて家から徒歩7~8分くらいの所有地に家を建ててたところ。但し、柱や外壁はできてたが、まだ畳が入っていない。

それでも構わない。そんなことより安眠がほしい。

 

わたしたちは2階に上がり、板間の床の上に毛布を敷き横たわる。

カーテンのない窓一面に星が見えた。

月も出てたのかなぁ・・けっこう明るかった覚えが

懐中電灯つけてたからかも

 

呑気姉妹はいつものようにおちゃらけてこの奇妙な状況に爆笑しながら

ラジオの深夜放送をBGMに眠りにつきました。

早朝、母がやって来て「やっぱりここやったか」と。

気づくの遅いのよ

 

悲愴感はなかったな・・ちょっとしたワクワク☆

子供ってたくましいね(笑)

とはいえ、やっぱり教育上よろしくないですよ

家族が仲悪いというのは。

おかげでわたしもどこか屈折してる。

 

 

SNSのバトンリレーなんかを寒く感じてしまう

かまいたちの山内が回ってきたおむすびリレーに「僕はやりません」って言ったのを見て同類見つけたって思った。

でもわたしには正面切ってやりませんって言う勇気はない。彼はすごいな~。

 

本棚に若いころ買ったタレント本がある。

ビートたけし「みんなゴミだった」

松本人志「遺書」

三谷幸喜「オンリー・ミー私だけを」

 

・・やっぱり屈折してるか(笑)

(因みにオンリー・ミーは笑えます)

 

 

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忌中にやることあれこれ~注意点~

 今日は義父の初七日で旦那の実家へ。

そこで義母と名義変更の話をしてるうち

実父の時のことを思い出した。

 

母が、介護ストレス → 葬儀のゴタゴタ → 放心状態 で

使い物にならなかったので、名義変更、相続の手続きを私1人でやる羽目に。

契約関係は全て父がやっていたのでなかなか大変でした。

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すでに経験してる方々はご存知とは思いますが

知らないと損することもあるのでちょこっとここで書いておこうかと・・。

 

家族が亡くなると、死亡一時金や葬祭費の申請など一連の手続きのため

役所に行くことになりますが、このときに相続に必要となる証明書類を取得しておくと二度手間にならずにすみます。

そのためには提出機関ごとの必要書類を事前に把握しておかないといけません。

 

故人名義の動産&不動産、例えば

A銀行口座・B銀行口座・C銀行口座・○○生命保険・証券・土地家屋・・

解約や相続には証明書類が必要です。

 

出生から死亡までの戸籍謄本、住民票除票、印鑑証明書(固定資産評価証明書)などの原本が必要になりますが、各機関ごとに書類を揃える必要はないのでご注意を

(知らずに全部揃えてしまうと発行手数料だけで1万円近くかかることも)

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多くの銀行はコピーをとって原本は返してくれるので、前もって

コピーでもよいか、原本要の場合は返却可か、を確認しておくとよいです。

戸籍を遠方から郵送で取り寄せる場合は一回ですませたいですね。

全部で何通必要かちゃんと調べておくのがいいと思います。

 

また、故人名義の口座が凍結されて困ったという話をTVで観たりしますが

実際に困った人をわたしは知りません。

役所から銀行へ死亡通知がいくことはないので

たまたま銀行が知ったか、遺族が知らせるか、ということがなければ

普通に引き出せます(絶対という事ではないですが)

但し、相続人がまだ決まってない段階での引き出しになるので、

後々問題にならないよう、葬儀のために引き出したことが証明できるように

葬儀費用の請求書領収書をしばらく保管しておくことをお勧めします。

(葬儀に関する書類やハガキなどは葬祭費や忌引き休暇の申請に必要になることもあるのですが、その後もしばらく置いておきましょう) 

 

年金関係では、

年金受給権者死亡届を10~14日以内に出さないといけませんが

今は個人番号と基礎年金番号が紐づけされてれば届出は要らないのかな?

未支給年金・遺族年金の申請については個人番号の記入により必要書類の省略ができるそうです。

 

証明書類は3ヶ月以上たつと使えなかったりしますが、除票や除籍などは更新がないので無期限に有効らしいです(念のため提出機関に確認要)。

後々、故人の証明が必要になった時に使えるので捨てずに残しておきましょう。

 

今思い出せるのはこのくらいですが、

要約すると

とにかく前もって電話で確認

ネットで調べたままを鵜呑みにすると損することも。

自治体によって書類が省略出来たり余分に必要だったりがある。

電話で確認しとくと、過不足がなく時間とお金の節約になります。

もらえるものはもらう

葬儀にはお金がかかります。

会社・自治体に確認し、いただけるものはいただきましょう。

 

 

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蛇足ですが、お香典リストを残しておくと、こっちが香典を渡す側になったときに

もらいすぎや渡しすぎがないです(;^_^A

 

 

義母も、やることがあるうちは気が張ってるようで

思ったより元気そうで安心しました。

 

 

 

ボケ炸裂

うちの職場は盆休みが長い。

今日は2週間ぶりの出勤だった。

例によって、上司の名前がスッと出てこず宙を見ること3秒・・・

ギリで絞り出せた。

3秒でよかった。4秒以上だと怪しまれていただろう(何を)

 

たかが半月で職場仲間の名前を忘れてしまう

これはもう、たまたまではなく持病と思ってつき合わなくてはいけないようだ。

 

そしてボケはそれだけではないのです。

上書きせずに印刷するワードのデータをファイルタグをクリックしようとして上書きしてしまった。

10分以内ならできるので復元したが、しばらく放心状態で5分ほどボーッとしていた。

どした?わたし。

 

ボケはまだ続く

 

夕飯にゴーヤチャンプルを作ったのだけど

ゴーヤを切って塩水につける行程で何かがおかしい。

あれ?こんなに種ってついてたっけ・・?

あ、中ワタとらずに切ってた(-_-;)

仕方ないのでスライスしたゴーヤを一切れづつとって指で中ワタをちぎる。

あーめんどくさい‼

 

今までにやったことないようなミスをしてる。

自分が怖くなってきた(;^_^A

 

コロナがおさまったらMRIを取りに行きたいと思う

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天使に見えるフクシア

頭だけじゃなく夏バテか身体もしんどい。

しっかりしろ!わたし

 

 

結婚25年でわかったこと~サイコパス疑惑~

前回、旦那が初めて私に涙を見せたと書いた。

実は私の中で、旦那はサイコパスではないか疑惑がありまして

それには理由がありまして

 

とにかく泣いたのを見たことがない

お涙頂戴のドラマや映画を観ても無感動

娘が入院&手術したときも涙目にならなかった 等等 

 

今までに泣いたことある?と聞くと

子供の時飼ってた猫が死んだときは泣いた、と。

ええーそれって、サイコパスちゃうん?

本気でそう思った。

 

でも今回、父親のことで涙し、

亡くなる日の朝は目がパンパンに腫れていた。

よかった、

彼はサイコパスじゃない。

 

そんな旦那にわたしは先日酷いことをしてしまった。

釣りに行って大漁だったから、さばいて刺身にして病院に(お父さんに)持って行くと言うので

「食事もしんどいのに、ましてや刺身なんて病院が許すわけないやん!何考えてんの?」と叱ってしまった。

義父は刺身が好きだったが、そのころは固形物は果物くらいしか口にしない状況でこっちも腹が立ってつい言ってしまったのだが

旦那は旦那で好物の刺身なら食べれるかもと、

ちょっとでも精がつくものを食べさせたい一心だった、

猛暑の中釣りに行ったのはそういう事だったんだろう。

 

あんなきつい言い方しなくてもよかったのに・・とすごーく後悔してます。

幸い、彼はまだ生きてるしサイコパスではないことも重々分かったんで

これからはもっと優しく接してあげよう・・

 

義父を看てくれた看護師さん曰く

家族思いのお父様ですね、ずっとご家族の心配されてましたよ・・・

  

たいしたことはできないけど、

残された家族を大事にすることが

自分の役割だと思うことにしました。

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2018年 家族旅行にて 【富士山を撮る旦那】

 

 

 

 

 

コロナ禍に逝く

昨日、義父が亡くなった。

享年82歳。

 

前にも書いたが、病院のコロナ対策が厳しくなって

見舞は1日2人まで。

病室には交代で一人ずつ15分しかいられない。

 

 義父はとても我慢強い人で、痛いとか辛いとかめったに言わない。

「どおもせん」「大丈夫や」と笑う。

自力で立てなくなってもオムツをせずトイレを使ってた。

 

一昨日、旦那が一人で見舞いに行った。

ここ数日、義父はとても辛そうで、見舞に行ってもしゃべれず唸っているばかり

15分たって看護師さんから促され旦那(息子)が帰ろうとすると

「帰るな~」と泣いたそうだ。

帰宅した旦那が、私の前で初めて涙を見せた。

「明日わたしも行くわ」としか言えなかった。

 

翌日(昨日)の朝5:30に義母から電話があり病院に向かったが間に合わなかった。

家から車で15分ほどの距離。

なんで一人で逝かせなきゃいけなかったのか・・

引き留める義父を一人にして

家族が見守る中で逝かせてあげられなかったことが無念で仕方ない。

 

旦那は義父の癌が再発してから先が長くないのを悟ってか、よく一緒に釣りに行ってた。11月、12月なんかは毎週のように。

義父の身体が心配ではあったが、生きてる間に一日でも長く、という息子の気持ちも分かるので好きにさせてた。

おかげで旦那にも義父にも思い残すことはなかったと思う。

それが救いです。

 

葬儀は家族葬

本人の希望でもあったが、3密を避けるためにもそうなった。

正直、あんな質素で地味なお葬式は初めてですが

自由でのんびりでほっこりな、温かい時間でした。

悲しいというよりも「しんどかったね、楽になってよかったね」の気持ちが強い。

やはり癌で亡くなった実父の時も同じ気持ち。

 

愛想がいいだけの特に気が利かない嫁でした。

無口な実父は我ら娘としゃべることはほとんどなかったので

義父の方が何倍もおしゃべりしたし旅行も一緒に行ったし、過ごした時間が長かったんですよね。

骨を拾うのはこれで4度目で、さすがにもう慣れました。

つつがなく儀式が終わり、旦那の実家で骨壺に入った義父に

「お義父さん、また来るね」と声をかけてお別れ。

 

確か2週間前に実家に寄った時も

介護用ベッドで横になってる義父にそう言ったな・・

 

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ベランダのフクシア 2020 5月

 

 

 

 

我慢を忘れた日本人

ブルーレイのHDD容量がいっぱいになってきたので

放置してた録画をこの休みに一気観することにした。

とりあえず一話も観ていない連ドラを観ようと思い、

昨日が終戦記念日だったこともあり、

2年ほど寝かしたであろう「この世界の片隅に」を1話から最終話まで観た。

評判通りのいいドラマでした。

あの時代に生きた人なら誰もが体験しているような、苛酷だけど日常的でとても現実に近いお話。

戦時中の物語やドキュメンタリーを観るたび、自分たちはいい時代に生まれたと痛感する。

ひもじい思いをしたことないし

高額でなければ欲しいものは大概手に入るし

死の恐怖と隣合わせで生活するなんてこともない。

しかし、こんな幸せ過ぎる日々が当たり前の日常となると幸福ではなくなる。

毎度、反省しきりです。

 

それはそれとして、最近の呆れる報道

埼玉や大阪でおきてる、コロナ患者宿泊療養施設での脱走、無断外出。

 

外出したい気持ちは分かる。施設側も体制の改善が必要と思う。

だけど、2週間・・暇で息が詰まりそうになるかもだけど、

そんなに我慢できないかな。

あれは療養という名の隔離で、快適ホテルライフとは違う。

自宅みたいに欲しいモノも自由もない。でも隔離だから。

 

2週間の隔離という我慢に耐えられない脱出野郎たちは一度戦地に行ってみればいい。外が危険なら1か月でも我慢するはず。

中年男たちのようですが、危険因子の自分が外出することで他人を危険に晒す意識はないようで・・世も末です。

 

戦時中には考えられないような

こらえ性がない、我慢すべき時に我慢できない人間が

今の日本にはいる。

 

残念だけど・・・

 

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映画版